『私が愛した渥美清』/秋野太作

愛すべき"国民の舎弟"登(のぼる)が明かす、渥美清の思い出

本書『私が愛した渥美清』は、初期寅さんの名脇役・登(のぼる)を演じた秋野太作氏が、渥美清との思い出を記した一冊だ。

秋野氏が演じる「テキ屋の登」はテレビドラマ版『男はつらいよ』に始まり、第1作『男はつらいよ』第2作『続・男はつらいよ』第4作『新・男はつらいよ』第5作『望郷篇』第9作『柴又慕情』第10作『寅次郎夢枕』、そして10年以上の間隔を空けて第33作『夜霧にむせぶ寅次郎』に登場する(第10作まで秋野氏の芸名は津坂匡章[つさか まさあき]だった)。

登が登場すると、寅さんが「ニッカァ~」と本当に嬉しそうな顔をするので、観ているこちらもつい嬉しい気持ちになる。時には寅さんにこっぴどく叱られ、行き場を失った子犬のように寂しく去っていくこともあるが、そのうしろ姿もたまらなく良いのだ。

登の喜怒哀楽は、初代おいちゃん・森川信と並んで初期寅さんに欠かすことのできないスパイスであり、ファン同士で寅さん談義をすると必ず「あぁ!登!」とあの笑顔が記憶の端に浮かび上がってくる。

たまらなく愛おしい国民の舎弟、それが登なのだ。

渥美清を見るためだけに、当時超高級品だったビデオデッキを買った秋野太作

秋野氏と渥美清の共演は、テレビドラマ版寅さんの1年前、1967年のドラマ『泣いてたまるか』(タイトル:先生早とちりをする)が最初で、以降『泣いてたまるか』(タイトル:ああ無名戦士)、テレビドラマ版『男はつらいよ』、『渥美清の父ちゃんがいく』『すかぶら大将』『こんな男でよかったら』と続き、並行して映画『男はつらいよ』シリーズでも共演を重ねていく。

秋野氏にとって『泣いてたまるか』での初共演は待望のものだったようで、というのも、彼は駆け出しの劇団俳優だった頃、テレビの世界ですでにスターであった渥美清に心底惚れ込んでいたからだ。

それでもどうにか人並みに──中古ではあるがテレビ受像機を自前で出に入れて(中略)テレビドラマを見た時に──(何じゃい! これはあ! 何という面白い役者がいるんだあ!)と、たちまち夢中になったのが「渥美清」という名の、それは一風変わったヘンチクリンな役者だった。四角い顔をした、目のちっこい、髪の縮れた、面白くて、どことなくもの悲しさのある、この丸まっこい役者に、私は、若き日の[役者心]をムンズとわしづかみにされた。(39P)

 秋野氏のほとばしる渥美清への愛は、当時まだ世に出始めたばかりでとても高価だった「テレビ番組録画用・ビデオデッキ」を、なけなしの収入をはたいて購入させるほどのものだった。このエピソードを知れば、渥美清との共演オファーが、秋野青年にとってどれほど嬉しい報せであったかがわかるだろう。

正確な値段は忘れたが、それは昭和四十二年頃のことだった。国産の中古自動車一台が買えるくらいの値段はしただろうか。──まだ世の中に出始めたばかりの、家庭用「テレビ番組録画用・ビデオデッキ」をいち早く私が買い求めたのは、全く「渥美清」というたった一人の役者のためだった。そんなものを持っている同業者は、当時、まだほとんどいなかった。車より先に、私はそれを手に入れて悦に入っていた。それは四畳半ひと間に暮らす駆け出しの貧乏役者が、生涯初の割賦ローンを組んでまでして手に入れた、異常に高価で身分不相応なぜいたく品だった。スーツケースを二つ重ねたくらいの大きさがあり、使用するむき出しのオープンリールのテープの幅は太くて、五~六センチはあった。それもこれも「渥美清」のためだった。(37P)

渥美清の演技を好きな時に好きなだけ眺めていられるなんてことは、天国を我が物にしたくらいに嬉しかった。(44P)

臨場感と緊張感にあふれるテレビドラマ版『男はつらいよ』の舞台裏

本書前半のクライマックスは、テレビドラマ版『男はつらいよ』の収録風景を振り返る場面。その記述は詳細なもので、臨場感そして緊張感に溢れている。秋野氏は文才にもめっぽう恵まれているのだ。

ドラマ版『男はつらいよ』はスタジオドラマ方式で製作されていた。これは、スタジオ内に全てのシーンのセットを用意し、あたかも舞台で演じる演劇のように、役者たちが物語を頭から最後まで順番に演じていく製作方式のこと。

演技は5~6台のカメラで撮影され、専任スタッフがモニターを見ながらカメラアングルの切り替えを行い、1本のドラマに仕立て上げる。別撮りやブツ切りが可能な映画方式とは違い、役者には高い演技力と集中力が要求されるのだという。

秋野氏によると、ドラマ版『男はつらいよ』では、最初の軽いリハーサル(=ドライリハーサル)が終わると、撮影準備のため役者に30分の休憩が許されていたという。このわずかな時間が、渥美清と秋野氏にとっては勝負の時間だった。

急いで控室に2人きりで籠り、台本を前にして胡坐をかき相対する。渥美清が車寅次郎のセリフをまるで機関銃のように読み上げると、秋野氏が車寅次郎以外の全キャストのセリフをこれまた機関銃のように撃ち返していく。セリフの間違いは都度修正され、台本を最後までなぞると「よし、次だ!」「モ一回!」とまた最初に戻ってやり取りが続く。

およそ三〇分の息もつかせぬこんなやり取りの間に、あっという間に台本一冊分の全てのシーンのセリフが渥美清という役者の脳味噌の中に納まった──。(中略)もう感心を通り越してただ茫然、唖然とするしかない。(13P)

台本の超高速インプットが終わると、次はスタジオに戻り、カメラアングルを確認する2回目のリハ(=カメラリハーサル)、本番前の通し稽古(=ランスルー)へと進む。多くの役者はここで本番同様の演技をするが、渥美清はカメラ割りを意識するばかりで、「相手役の役者の顔など見てはいない」「そっぽを向いている」「気持ちは空っぽ」「セリフは、ブツブツ軽くつぶやいて」「心などどこにもあらず」の状態だったという。

しかし、いざ本番が始まると渥美清は豹変する。リハでのテンションはどこへやら。まるで別人のように言葉や体が自由自在に跳ね回り、時には共演者が「何をするんだ?」と緊張して身構えるほど奔放なアドリブが放り込まれる。その様子は「彼の身体に突然変なものが憑依したのではないか?」と思えるほどだったという。

映画でもおなじみ、寅さんの啖呵売シーンに至っては、台本にただ一行「ここで啖呵売」と書かれているだけ。啖呵売シーンの収録は完全に渥美清まかせで、淀みなく流れてゆく名調子に、共演者はただただあっけにとられていたという。

 彼の素性を何も知らない私たち役者の前では、それは唐突だった。突然台本には書いていないセリフ(口上)を延々と、まるで昔からそれを知っていたかのように、まるでいつもこれまで自然にそれをやっていたかのように軽々と、本物の香具師以上に本物らしく演じるのだから、私たち共演の者たちはビックリしてあっけに取られて見ていた。(この人は一体どういう人なんだ? どうしてこんなに上手いんだ? 一体何者なんだ? どっから来たの?)と、息をも止めて彼のその妙演を見つめた。(138P)

 
渥美清はこのように、本番におけるただ1度の芝居に命を懸けていたから、誰かがNGを出すと途端にやる気がなくなり、2回目以降同シーンの芝居では「腐った死体」(!)になったという描写も実に面白い。

ドラマの撮影が軌道に乗り出した頃の渥美清は「鬼神のように輝いて」いたそうだが、現存するテレビ版『男はつらいよ』の初回と最終回には、その片鱗も収録されていないと秋野氏は嘆く。

当時の保存用ビデオテープはとても高価だったため、テレビ版『男はつらいよ』は初回と最終回だけを残し、別の映像が上書きされてしまったという話を私は聞いたことがあるが……いやはやなんとも惜しいことだ。これは日本芸能史における大きな損失と言っていい。

なぜ、登は『男はつらいよ』シリーズから姿を消したのか?

さて、本書は寅さんファンなら誰しも一度は疑問に思うであろう「どうして登の出番は無くなったのか?」についても、秋野氏本人がその理由をしっかりと記している。

それは私にとって拍子抜けするような単純なものであったが、背景には多少のボタンの掛け違いや、松竹サイドの傲慢もあったようだ。真相はぜひ本書をお読みいただきたい。

私が特に知りたかったのは、第10作『寅次郎恋歌』を最後に『男はつらいよ』シリーズから姿を消した登が、突如第33作『夜霧にむせぶ寅次郎』に登場したこと──そしてまた、それ以降の作品では姿を消したこと──の理由である。

私は、第10作以降、秋野氏が渥美清の逆鱗に触れる何かをしてしまったのではないか?と邪推していた。しかし、出演の背景にはむしろ渥美清と秋野氏の間にあった信頼関係、師弟の情愛、あるいは友情があったのだ。こちらのエピソードもぜひ本書でご確認いただきたい。

唯一の心残りは、寅のアニキをひとりにしてしまったこと

『男はつらいよ』シリーズから離れたことについて、「後悔はしていない」と語る秋野氏だが、ただひとつだけ、愛するアニキに対しての悔恨の情はいまだ抱き続けているという。

その後も「降りたこと」への後悔はしていないのだが……結果として、ひとつだけ……あれだけお世話になった渥美氏には(大変に申し訳ないことをした)という思いがある。それは、私が役を降りたことで、作中「寅が、本音をぶつけられる相手がいなくなった」ということだ。それだけは、大事な〈兄貴〉に対して……大変に申し訳ないことをした、と強く思っている。(166P)

時に温かく、時にもの哀しく、渥美清と過ごした濃密な日々が綴られていく本書。全編にわたり瑞々しく描かれる若き日の歓喜や憧憬、そして後悔の先には、まさにタイトル通りの「私が愛した渥美清」が鮮やかに、切なく浮かんでいる。

渥美清の人となりをもっと深く知りたい寅さんファン、また、テレビドラマ版『男はつらいよ』の舞台裏を知りたい寅さんファンなら必読の一冊である。

追記(ここから先は「知らなきゃよかった話」かも……ご注意を!)

本書を語る上でどうしても避けて通れないのが、秋野氏が抱える山田洋次監督への思いである。

秋野氏は、テレビ版から映画版に生まれ変わった『男はつらいよ』の完成度を称賛する一方で、そもそも、なぜ映画版が生まれたのか?なぜ車寅次郎はハブにかまれて死ななければならなかったのか?について、秋野氏の考える事実を提示している。

これは一般に広く流布している「正史・男はつらいよ」を大きく覆すものであり、一線を超えたファンにとって見逃せない言及である。こちらも詳細はぜひ本書をお読みいただきたい。

      2020/06/13

 - 男はつらいよ書籍紹介