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「渥美清が絶妙な語り口で来歴を語る自伝的書物」【書評】きょうも涙の日が落ちる 渥美清のフーテン人生論/渥美清

渥美清は生前、数多くの出版社から自伝の執筆を持ちかけられたが、すべて断ってきたそうである。そのため、本人が著したいわゆる「自伝」は存在しない。しかし、本人が来歴を語り、その口述をまとめた「自伝的書物」ならば存在する。そのひとつが本書「きょうも涙の日が落ちる 渥美清のフーテン人生論」である。(もう一冊は「新装版 渥美清 わがフーテン人生」)。

渥美清の死から7年後の2003年に出版された本書は、渥美清が月刊誌や週刊誌で行った対談記事と、同じく雑誌に掲載された口述的なエッセイの合計13本を1冊にまとめたものだ。これらの中で渥美清は、少年時代の思い出や、俳優になった経緯、自身の女性観や仕事観、演技論などを断片的に語っている。各章に散りばめられたエピソードを紡ぎ合わせると、まるで自伝のように渥美清の人生の一部が明らかになる、というわけである。

各章のタイトルと初出一覧は以下の通りである。

  • エッセイ:ぼくのアフリカ/「暮らしの手帳」第二世紀10号 昭和46年早春号
  • エッセイ:やっぱり男はつらいよ/「婦人公論」昭和48年3月号
  • エッセイ:映画らくがき帳/「映画の美」インナートリップ 昭和51年1月号
  • 対談・近藤日出造:ちょっと“結婚恐怖症です”/「週刊読売」昭和38年1月27日号
  • 対談・吉行淳之介:独身か結婚か“精神的二枚目”の迷い/「アサヒ芸能」昭和43年3月17日号
  • 対談・近藤日出造・杉浦幸雄:役者はつらいよ/「週刊漫画サンデー」昭和45年4月15日号
  • 対談・飯沢匡:敵役いつの間にか三枚目/「週刊朝日」昭和45年10月2日号
  • 対談・加藤芳郎:ディスカバーフーテンの寅さん/「週刊文春」昭和46年10月11日号
  • 対談・團伊玖磨:人生は寝ることだよ/「週刊読売」昭和47年8月6日号
  • 対談・荻昌弘:寅さんがボクか、ボクが寅さんか/「サンデー毎日」昭和48年10月21日号
  • 対談・森繁久彌・竹脇無我:ビッグスリー新春芸談/「週刊平凡」昭和52年1月6日・13日合併号
  • 対談・安岡章太郎:チャップリン 狂気と天才が生んだ笑い/「チャップリン名作集 街の灯・モダンタイムス」講談社 昭和48年4月刊
  • 対談・淀川長治・和田誠:「ロイドの用心無用」のギャグの秘密/「キネマ旬報」昭和51年10月15日号

本書の中で一番古い文章は、昭和38年(1963年)「週刊読売」の対談記事である。この頃、渥美清はテレビドラマ「大番」が話題を集め、主演映画「拝啓天皇陛下様」が公開されるなど、俳優として頭角を現し始めていた。世間の人々の「渥美清とは一体何者なのだ?」という興味に応えるためか、対談では自らの来歴やプライベートを積極的に語っている。映画「男はつらいよ」シリーズのヒット以降、渥美清はこうした対談やインタビューにほとんど登場しなくなるため、本書に掲載されている文章はどれも貴重なものである。

雑誌記事の取材ということもあって、本書の渥美清は肩肘をはらず、フランクに自分の過去や現在を語っている。しかも、本書は全編にわたり、渥美清が話した内容をほぼそのまま書き起こしたであろうリアルな口語文体で記されているので、「話芸の達人」と言われた渥美清の絶妙な語り口の片鱗をうかがい知ることができる。

ひとつ例として、渥美清が川崎セントラル、浅草フランス座といったストリップ劇場でどのような芝居をしていたのか、また、そこからどのような経緯を経てテレビ出演を果たしたのかについて語る部分を引用しよう。

渥美 助平コントばかりやっていたんです。ぼくは色情狂の殿様なんかになって出て、出るとすぐ「一発どうだ」というんですよね。その一発を逆にいって「パツ一どうだ」。ですからそのころ川崎でぼくが舞台に出ると「パツ一!」と声がかかった。(中略)悲しくおかしいやね、いま考えると。とにかく筋に関係なく「パツ一どうだ」とやるんですからね。

「きょうも涙の日が落ちる」渥美清(127P)

渥美 フランス座では主として女形、それも、色狂いの年増の役なんかやったんですが……(中略)淫乱年増の役は、男を見るとすぐハァハァと息づかいを荒くして、けいれんする、なんてンでしてね、それが浅草ではバカにうけたんですよ。そのときちょうど、何かの間違いで電通のえらい人が見にきていて「いろんな芝居を見たけれども、こんなに笑ったことない」と、この人、会社に帰ってしゃべったらしい。それで電通からすぐ何人かが見にきて、ぼくに会いたいということで、ぼく、近所の喫茶店へ呼び出されました。そうして「テレビに出ないか」……驚いちゃいましたね。

「きょうも涙の日が落ちる」渥美清(128-129P)

さて、本書の中でも群を抜いて面白いのが、巻頭に掲載されているロングエッセイ「ぼくのアフリカ」だ。

渥美清は寅さん以前、「ブワナ・トシの歌」(1965年)という映画に主演するため、長期間のアフリカロケを行っている。このロケの最中に起きた出来事、感じたことをまとめたのが本エッセイだ。「エッセイ」とあるが、実態は渥美清が語ったものをインタビューライターがまとめたものと思われる。

渥美清と撮影クルーたちが向かった先は、ケニアとタンザニア。多くの日本人にとってあまり馴染みがないアフリカ旅行は、渥美清にとってもカルチャーギャップの連続だったようだ。

 ぼくたちが疲れきって、仕事から帰ってくる、食事をしていると、そのすぐそばで、原住民たちがジィーッと立ったまま、見ているわけなんです。女なんか、オッパイをプランプランさせて、体じゅうとても臭くて、それが、めしを食っているすぐそばに、何人も立って見ているんです。(中略)それも、ただ立ってるだけならいいんですけど、チッと鼻をかんで、それを髪の毛でふいてるわけです。

 ぼくら下町の生まれですから、鳶の頭がチーンと手鼻かんでるのは、よく見ましたけど、髪の毛でそれをふくっていうのは、考えもしなかったのです。

「きょうも涙の日が落ちる」渥美清(14-15P)

 二十何年か前に、終戦のとき、ぼくたちは有楽町の駅や日劇のまえあたりで、進駐軍をみると、プリーズ・ギブミー・シガレットといってたでしょう。それがアフリカへ行くと、逆になってるんです。こちらが、進駐軍になっているわけですよ。こちらが、ダンナなんです。

 上着ひとつ脱ぐんだって、ボタンをはずすでしょう、すると下になにか着ている、そのおどろきが、原住民の顔に、はっきり出てくるんです。しょっちゅうおどろきと憧れの目で見られている。これは、いい気持ちですよ。ことに年中、人になにか見せていたいという役者にとっては、いいんじゃないですか。満足するんです。このぼくのすること全部に、しびれていやがる、みたいな感じですからね。

「きょうも涙の日が落ちる」渥美清(53P)

東京の下町文化で育った渥美清が、アフリカで経験した様々な出来事を庶民感覚たっぷりに語る本エッセイには、お決まりの常套句や気取った文章表現が一切なく、どこまでいっても渥美清の「実感」に満ちている。同行した医者がノイローゼになった話、アフリカ象の群れが歩く様子から歌舞伎役者の序列を想像した話、原住民に物を施しているうちに彼らがやがて物質主義に飲み込まれていった話など、渥美清ならではの視点によるアフリカ旅行記は驚きの連続で、ページを手繰る手が止まらない。

時折、話がふっと脱線すると、渥美清が少年時代にみた浅草ヤクザの栄枯盛衰の話や、栄華を極めた浅草芸人が一気に転落していった話などが飛び出す。驚愕のアフリカ旅行記の合間に、哀愁や諸行無常を感じさせるエピソードが淀みなく差し挟まれ、まるで渥美清の独演会に参加しているような感覚さえ覚える。

このロングエッセイから伝わる渥美清の人物像を一言で表現すれば、「骨の髄までどっぷり下町が染み込んだ“実感の人”」といったところだろうか。そんな渥美清が演じた車寅次郎だからこそ、寅さんには圧倒的なリアリティが生まれ、渥美清以外の俳優には到底演じることができない、稀有なキャラクターになったのだと納得させられる。

渥美清の人となりをより深く知りたい人には、ぜひお薦めしたい一冊だ。

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