
諏訪博を演じる前田吟は、寅さんシリーズの全作品に登場している。博がもっとも輝いたシーンを挙げるとすれば、第1作「男はつらいよ」でのさくら(倍賞千恵子)への告白シーンを外すことはできないだろう。
僕の部屋から、さくらさんの部屋の窓が見えるんだ。
朝、目を覚まして見てるとね、あなたがカーテンを開けてあくびをしたり、布団を片付けたり、日曜日なんか楽しそうに歌を歌ったり……冬の夜、本を読みながら泣いてたり……。
あの工場に来てから3年間、毎朝、あなたに会えるのが楽しみで。考えてみれば、それだけが楽しみで、この3年間を……。
僕は出ていきますけど、さくらさん幸せになってください。さようなら。
第1作「男はつらいよ」
この告白で博は、「好きだ」「愛している」と言った言葉を一度も使わないのだが、3年間溜まりに溜まった自分の思いをストレートにぶつけた結果、100万回の「好きだ」よりも心を打つ愛の告白になった。こんな告白をされて心が揺れ動かない女性はいないのではないかというくらい、熱がこもった真実の愛の言葉である。
寅さんシリーズ屈指の名場面だが、寅さんの舎弟・登を演じた秋野太作(第1作当時は芸名・津坂匡章)によると、このシーンの撮影で前田吟はなんと36回ものNGを出したという!秋野太作の著書「私が愛した渥美清」から、緊張感に満ちた撮影現場の様子を引用しよう。
三五ミリの大型カメラは、ドデンと座敷から、土間に立つ前田の正面にフィックス(固定)で据えてあった。つまり、前田が一人でカメラに向かってしゃべる、単独のバストショットだ。他の役者はこのカットにからんではいない、映らない。このショットには関係がないから、相手役(さくら)も、実際にはそこにいない。……あくまでも相手役が眼前ににいるつもりになっての、前田一人の、長セリフになる(ただこのカットが終わればすぐに次のショットになるから、私も倍賞さんもその場から離れるわけにはいかない)。
上手くいかない。
何度かやったが……。
OKにならない。
どうも、上手くいかない。
「もう一回……」
「もう一回……」
芝居のたびに、山田監督の口から聞こえてくるのは、この言葉だけだ。(中略)
延々と……
午前中、三時間、この状態が続いたままだった。
「もう一回」を、数えている者がいた。
……三六回になっていた。
午前中は、結局、ワンカットもテイク出来ずに、そのまま、休憩に入った。
せっかくの休憩時間も……前田には生きた心地がしなかったろう、と思う。(中略)
私は……
「私が愛した渥美清」
沈み込んだセットの片隅で、黙ったまま所在もなく佇み、事態の推移をため息をつきながら見守るのみだった。
(やれやれ、この先どうなることやら。こりゃあ、とうてい喜劇を撮る雰囲気ではないなあ ………………)と心の中でつぶやいていた。
同じ場面について、倍賞千恵子は著書「倍賞千恵子の現場」の中でこう記している。
吟ちゃんは、しっかり自分の演技プランがあって、それをもって臨んだけれども、山田さんに、
「倍賞千恵子の現場」
「そんなにオーバーじゃなくていいんだ。もっと普通で」
て言われて、何回もテストをやり直すことになります。
「あのときは吟ちゃんが大芝居してさ」
と山田さんはなつかしそうに振り返り、そうそう、確かにあのカットは何回もやったな、と思い出しました。
なぜ、山田洋次監督は前田吟に何回もやり直しをさせたのだろうか。その背景にある考えを山田洋次監督は著書「映画をつくる」の中でこう述べている。
私はよく俳優に、あなたが日常ふるまうように動いてくれ、あるいは日常しゃべるようにしゃべってくれと注文しますが、じつは俳優にとっては、その日常と変わりない動作が演技としてできるということは、それができれば一人前の俳優といっていいぐらいにむずかしいのです。カメラの前で日常ふるまうように自然に演技するためには、じつはたいへんな努力と緊張が必要なのです。
非日常的な表現、たとえば、ひどく特殊なせりふを特殊ないいまわしでしゃべったり、眼をむいてすごみをきかせて大見得をきったりすることはそんなにむずかしいことではない。誰にもできることだといっても過言ではありません。しかし、観客にふと自分の人生をふりかえり、自分が体験したある種の感情を思いあたらせるようなリアルで自然な演技はそう簡単にできることではありません。兵隊やヤクザ、あるいは娼婦をやれば俳優はみんなうまく見えるという理由は、まさにそこにあるわけです。
「映画をつくる」
おそらく、前田吟の当初の演技は大袈裟なもので、山田洋次監督が言う「ある種の感情を思いあたらせるようなリアルで自然な演技」ではなかったのだろう。それを裏付けるように、前田吟は日刊ゲンダイの連載の中で、第1作撮影当時を振り返りこんな風に述べている。
最初は全然、撮影に馴染めなかったですね。大船撮影所を見にいった時から、「俺だっていっぱしの役者なんだ」と肩に力が入っていましたからね。新劇の芝居で下町の人情劇に殴り込みをかけるというくらいの意気込みが空回りしてたんです。周囲からは「吟ちゃんに下町の自然な芝居は無理」と言われ、粉々、バラバラにされた感じでした。
日刊ゲンダイDIGITAL『前田吟「男はつらいよ」を語る』
さて、最終的にこのシーンの撮影はどうなったのだろう。秋野太作によると、三時間も粘った午前中の撮影では一度もOKが出なかったが、昼休みを挟んで午後の撮影に入るとあっさりOKが出たという。NGの理由、OKの理由は周囲には一切知らされず、秋野太作は「一体何が変わったのか?」と困惑したという。
山田洋次監督の真意はわからない。これ以上粘っても同じだとあきらめたのかもしれないし、休憩を挟んで前田吟の芝居から力が抜けたのかもしれない。いずれにしろ、結果として出来上がったこのシーンを見れば、前田吟の36回のNGは決して無駄ではなかったと思う。
第1作「男はつらいよ」を語る上で、いや、「男はつらいよ」シリーズ全体を語る上でも欠かすことができない、視聴者の記憶に残る名シーンだと言えよう。

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