
寅さんの実家「とらや」が突然「くるまや」に変わった理由とは?
寅さんファンにはもうおなじみの話だが、第40作「男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日」から、寅さんの実家であるだんご屋「とらや」の店名は突然「くるまや」に変わる。
この変更について作品内では一切説明がない。第40作から店の暖簾は「くるま菓子舗」と大きく書かれるようになり、寅さんも「くるまや」という屋号を何事もなかったかのように受け入れている。シリーズ作品を順番に観てきた視聴者の中には、突然の変更に「どうして?」と戸惑った方も多いだろう。
なぜ、「とらや」の名前は「くるまや」に変わったのか?その真相は……
帝釈天参道に実在するお店が、寅さん映画にあやかって店名を「とらや」に改名してしまったため、映画製作会社の松竹が抗議のため店名を「くるまや」に変更した
ということらしい。
参道に実在するだんご屋が「とらや」を名乗り始めた経緯
事の詳細は、五十嵐敬司氏の著書「寅さんの旅 『男はつらいよ』ロケハン覚え書き」に記されている。五十嵐氏は元松竹社員で、1971年から山田洋次監督の全作品の助監督を務めてきた方だ。「気の重い話」として紹介される店名変更の顛末をざっと要約すると以下の通りである。『 』内は書籍からの引用だ。
- 対象のだんご屋は、元々「柴又屋」という名前だった。
- 柴又屋は以前、寅さん映画のロケに使用され、この時セットとしてだんごの売り台が店に置かれたことがある。売り台の正面には「とらや」と書かれていた。
- 帝釈天参道ロケは度々行われるため、映画製作スタッフは大きくて重い売り台を持ち帰らず、そのまま柴又屋に置かせてもらった。店側も売り台が便利なので商売に使っていた。
- やがて、通りすがりの参拝客が「とらや」と書かれた売り台を見て、『あら、ここが映画の「とらや」よ』と誤認するようになった。
- その後、『店ではだんごの売り台を中央に据え、屋根看板も「柴又屋」から「とらや」に変えてしまった』。
- この店名変更に対して映画製作会社の松竹は、『宣伝部が抗議を申し入れたが、店側は柳の風』。『とうとう我慢ができず、次の作品から「とらや」から「くるまや」に屋号を変えた』という。
- 店名変更は松竹に『一言の挨拶もなく』行われており、『抗議を無視した態度にスタッフは腹を立て、以後この店とは没交渉』になったという。
柴又屋側の言い分はわからないが、当時松竹スタッフだった五十嵐氏によると、店名が「くるまや」に変わったのはこのような顛末だという。
第40作 御前様のセリフは「くるまや」変更騒動への暗喩的批判?
それにしても、寅さんシリーズにおいて長年親しまれてきた店名「とらや」を変えてしまうというのは、ずいぶん思い切った決断である。しかし、この店名変更は松竹にとってどうしても譲れない一線だったのだろう。
寅さん映画のオープニングには、毎回必ず「協力:柴又神明会」というクレジットが入る。五十嵐氏によると、帝釈天参道ロケはこの神明会の全面協力により、毎回滞りなく行うことができていたという。商店街連合の人々と長年にわたり信頼関係を築き、共に映画を作ってきたにもかかわらず、ひとり抜け駆けのような形で寅さんを商売利用されたことに、松竹は激しい怒りを覚えたのではないだろうか。映画製作に無償で協力をしてくれる商店街連合の人々に示しを付けるためにも、「くるまや」への変更はどうしても行わなければならなかったのかもしれない。
寅さん研究の第一人者(と私が勝手に呼んでいる)画家の吉川孝昭氏も、自身のWebサイト「男はつらいよ覚え書きノート」の中で、第40作における「くるまや」店名変更騒動について言及している。吉川氏はさらに、第40作での御前様のセリフは、この「くるまや」騒動に端を発して書かれたものではないかと非常に鋭い推察している。詳しくは、第40作「寅次郎サラダ記念日」の解説ページをご覧いただきたい。
最後に、その御前様のセリフを引用して本記事を終わりとしよう。
さくら「ああ、すっかり秋ですね。御前様」
御前様「そうそう、昨日寅が来て久しぶりに歓談しました」
さくら「あら、どうせ馬鹿な事ばかり言ってたんでしょうね」
御前様「いやいや、近頃は金儲けしか考えん人間がこの門前町にも増えてきましたから、寅のような無欲な男と話してるとむしろホッといたします。うん、あれはあのままでいい」

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