『田舎刑事 まぼろしの特攻隊』は、1979年7月にテレビ朝日系列「土曜ワイド劇場」で放送された2時間テレビドラマ。渥美清、西村晃、高峰三枝子と、映画級の俳優陣が並ぶ作品。DVD化はされていない。
私は一生お目にかかることができない渥美清主演作品だと諦めていたが、映画監督・森崎東の特集上映「森崎東と十人の女たち」(@オーディトリウム渋谷 2013年11月22日)にて、森崎監督のテレビ演出作品として本作が特別上映された(しかも無料)。当日は136席の劇場がほぼ満席。熱心な渥美清マニア、森崎東マニアが集まっていた。
もうみなさんご存じだと思うが、森崎東監督は寅さんシリーズの中でもひときわ異彩を放つ秀作・第3作「男はつらいよ フーテンの寅」の監督である。
渥美清が演じる杉山刑事は、ボサボサ頭にヨレヨレの背広を着こみ、穴の空いた靴下の下には治るあてのない水虫を抱えている。大分訛りの田舎刑事が違和感なくハマっている。
階段を昇る際に軽くつっこけるなど、寅さんを彷彿とさせるコミカルな動きもサービス程度にチラリと見せるが、基本的には抑えた演技である。取り調べや、聞き込み時に見せる鋭い演技はさすがで、事件を真摯に追いかける刑事役を好演している。
本作は、”特攻隊の生き残り”を自称する、西村晃が演じる犯人・深沢を中心としたフィルム・ノワール。このような異様な作品がテレビドラマとして放送されていたことに時代を感じる。作品のあらすじは以下のとおり。
『田舎刑事 まぼろしの特攻隊』あらすじ
西村晃が演じる初老の男・深沢は、ブルーフィルムと呼ばれる非合法の成人映画を自主製作しており、前科一犯の犯罪歴を持つ。特異なのは、そのブルーフィルムが「特攻隊の若者が、桜の木の下で、女学生と行為をする」という内容のものただひとつであり、しかも、全く同じ内容のものをキャストだけ変え、定期的に製作し裏市場に流通させていること。その作品はマニアの間で「マリア物」と称されるほどであった。
深沢は、自身を「特攻隊の生き残り」と称し、この映画は自分の実体験に基づくものと語っているが、これはウソである。彼は戦争時には整備兵であり、特攻兵ではなかった。桜の木の下で女学生を抱いたことは事実であるが、特攻兵のためなら体を捧げてもいいという女学生に対し、自身を特攻兵と偽りだまして行為におよんだのである。
深沢は、この行為に人生観を一変させるほどの強烈な興奮を得たようで、以降の人生は、その思い出を完全再現するためのブルーフィルム製作に費やされる。満足の行く作品が出来上がるまで、同じ内容のブルーフィルムを何度も何度も作り続けるというのだから異常である。そして、その製作過程において、ふとしたことから女学生役の女優を殺してしまい、渥美清演じる刑事に徐々に追い詰められることになる……。
『田舎刑事 まぼろしの特攻隊』はとんでもないフィルム・ノワールだった
深沢の心の中には、歪んだ性衝動と、「マリア」と称する美しい女学生への恋慕と、特攻隊というモチーフへの憧憬が渦巻いている。これらをこじらせにこじらせた結果、自らを「特攻隊の生き残り」と宣言して、自分の理想を具現化するための映画製作に没頭することになった……。
あらためて文字に起こしてみても、さっぱり共感できない歪んだ情熱であるが、まあそんなわけで犯人は極めて屈折したライフワークに邁進する人物なのである。
あまりの異様さに、上映終了直後しばらく呆然としてしまった。これは心に暗い影を残すとんでもない作品である。戦前・戦中生まれの日本人にとって、特異な存在である”特攻隊”というモチーフと、異常者による狂気をなかば強引にこじつけながら、フィルム・ノワールともいうべき独特の陰鬱な質感にうまくまとめあげている。
一歩間違えれば、心にトラウマを残すことになりかねない異形のテレビ作品。現代ならば間違いなく脚本段階でボツになる作品だが、これを実現させた当時のテレビマン達の志の高さに心から感服する。
本作を含む「田舎刑事」シリーズ全作品の完全DVD化を私は強く希望する。主演・渥美清、脚本・早坂暁、監督・森崎東の作品を、このまま倉庫に眠らせておくのはもったいなさすぎる。本作『田舎刑事まぼろしの特攻隊』は、日本を代表するノワール作品といっても過言ではないのだから。
本作『田舎刑事~』の評論については、森崎東監督の研究本『森崎東党宣言!』にも記載されている。ご興味のある向きは是非。