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「男はつらいよ」誕生秘話 ~車寅次郎はどのようにして生まれたか~

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映画「男はつらいよ」シリーズは、1968年から1995年まで足掛け27年にわたり、全48作が製作・公開された、松竹株式会社配給による一連の映画作品である。「一人の俳優が演じた最も長い映画シリーズ」としてギネス認定されるなど、世界の映画史から見ても稀有なこの寅さんシリーズは、一体どのようにして生まれたのか。本記事ではその成立過程を詳しく解説する。

映画「男はつらいよ」は、元々テレビドラマから始まった

映画「男はつらいよ」の成立過程はすでに広く知れ渡っている有名な話だが、あらためて振り返っておきたい。

「男はつらいよ」は元々フジテレビのドラマとして始まった。放送は1968年(昭和43年)10月3日から翌年の1969年(昭和44年)3月21日まで。毎週木曜夜10時に全26話が放送された。

渥美清は、このドラマ「男はつらいよ」以前に、すでにコメディアン・俳優として全国区の人気を獲得しており、「大番」「おもろい夫婦」「泣いてたまるか」などの主演ドラマを次々にヒットさせていた。渥美清とフジテレビプロデューサー・小林俊一(小林は後に第4作「新・男はつらいよ」の監督を務める)は、次回作を今までにない新しいドラマにしたいと野心を抱き、映画監督・山田洋次に脚本を依頼することにした。渥美清は、以前から山田洋次の作劇に注目しており、脚本を熱望していたのだという。

小林俊一とともに山田洋次の仕事場を訪問した渥美清は、打合せにおいて自身が少年時代を過ごした浅草の思い出話、特に、彼が憧れていたテキ屋たちのエピソードを面白おかしく話をした。座談の名手・渥美清の話に笑い転げた山田洋次は、そこから着想を得て「男はつらいよ」の企画・設定を作り上げた。

東京は葛飾柴又、帝釈天の参道に古くからの老舗だんご屋がある。そこではおいちゃん、おばちゃん、姪っ子のさくらたちが平和に暮らしている。さくらには異母兄妹の兄・寅次郎がいるが、彼は数十年前にぷいっと家出をして以来、消息が不明。そんな寅次郎が、ある日突然葛飾柴又に帰ってくる。寅次郎はインチキな品物を口八丁で売りさばくテキ屋を稼業としており、葛飾柴又の平和な暮らしは彼の登場によって大きく乱されることになる……。

渥美清は、このドラマ「男はつらいよ」の企画・設定を初めて聞かされた時のことをこう振り返っている。

「わたくし、山田さんから、そういうドラマの設定を説明されたとき、どうして、自分のあんな大ざっぱなくだらない雑談が……しかもバカ話が、こういうすばらしいものに化けてしまったのか?実は今でも驚いてるわけでございますよ。
 考えてみますとやっぱり、役者と作者の違いは、ここにあるわけで、わたくし、あのとき、その違いというものをはっきり見せつけられたような気がしたのでございますよ。」

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こうして、渥美清主演のテレビドラマ「男はつらいよ」と、渥美清最大の当たり役・車寅次郎が誕生したのである。

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テレビドラマ「男はつらいよ」衝撃のラストに抗議が殺到

当時、テキ屋のようなアウトローが主人公になるホームドラマは異質で、破天荒な寅次郎のキャラクターに眉をひそめる向きもあったようだ。しかし、渥美清×山田洋次のコンビによるドラマ「男はつらいよ」は徐々にお茶の間に受け入れられファンを獲得していく。そして迎えたテレビドラマ最終回の第26話。ここで映画版「男はつらいよ」の成立につながる大事件が起きる。

山田洋次は最終話にて、主人公の車寅次郎が奄美大島でハブにかまれて死ぬという結末を用意したのだ。毎週毎週、寅次郎の活躍を楽しみにしていたファンにとって大変ショッキングな結末だったことに加えて、その見せ方も大いにまずかった。2023年現在も入手可能なDVDで詳細を確認できるが、寅さんの死は舎弟・裕次郎(佐藤蛾次郎)の回想により事後報告としてあっさり片付けられてしまうのである。

結果、ドラマの放送終了直後からフジテレビには猛烈な抗議の電話・手紙が大量に届くことになった。私ももちろんこのDVDを見たが、渥美清の熱演によって寅次郎の最期はとんでもなく緊迫感に満ちた凄惨なものになっており、こんな死に様を見せつけられれば抗議したくなる気持ちも十分に頷ける。

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「寅を生き返らせたい」─山田洋次が映画版製作を決意

山田洋次は当時をこう振り返っている。

最後の二十六回目に寅さんが奄美大島でハブにくわれて死んでしまったとき、抗議の手紙や電話が局に殺到するまでになっていました。抗議してくる人のなかには、「てめえの局の競馬は二度と見ねえ」とか「うちの若い者がこれからなぐりこみにゆく」というようないい方をする種類の人も多かった。(中略)視聴者のなかにはすでに寅さんが息づいていて、観客にとってはまるで兄弟のような親しい存在になっているのに、それを生みだした作家の私が私なりの料簡で勝手に殺してしまったのはまちがったやり方ではないか、観客の気持を考えない不親切なつくり方ではなかったかと反省させられて、映画のスクリーンのなかにもう一度寅を生きかえらせなくてはいけないと、私はずっと考えていました。

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かくして、山田洋次は映画版「男はつらいよ」の企画を所属する松竹株式会社に提案する。松竹上層部は、一度テレビでやったものを映画にして客は入るのか?とこの企画に難色を示したが、山田洋次は当時の社長・城戸四郎氏に喧嘩腰で掛け合い、映画化を承諾させたという。こうして、映画「男はつらいよ」は無事クランクインを迎えた。

しかし、松竹は映画版寅さんにほとんど期待をかけておらず、映画完成後もすぐには公開されなかった。後に松竹のドル箱シリーズとなる「男はつらいよ」は、実は冷遇状態から始まっていたのである。

そして、堂々の風格を持った映画版「男はつらいよ」が誕生

さて、当の出演者たちはテレビドラマ版から映画版への移行をどのように思っていたのだろうか。テレビドラマ版、映画版の両方に出演した秋野太作は、初めて第1作を観た時の印象を自著「私が愛した渥美清」の中でこう振り返っている。

 大きな画面に……何だか晴れがましくも……
 〈寅〉が映り……
 私までが、映っていた。
 見ていくほどに……
 それは、素晴らしい出来上がりと、わかった。
 文句なしに、良かった。……新鮮だった。
 ……私は、感心した。
 隅々までキチンと計算が行き届き──野放図だった、それがまた良さでもあった、テレビ版の趣きとはまた違う──隅々までが良く制御された、気配りの行き届いた、「監督」というものの存在による、知性のフィルターを通して濾過され、表現された──映画というものの美しい世界……。
 テレビ映像とは異なる、醍醐味のある、見ごたえのある劇世界が──楽しく、活力にあふれて、大画面に展開されていた。

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秋野太作が振り返るように、映画「男はつらいよ」にはテレビドラマ版にはなかった映画ならではの風格が生まれている。例えばラストシーン。横長のシネスコいっぱいに、額に汗して商売に精を出す寅次郎と風光明媚な天橋立の景色がフルカラーで広がるシーンには、テレビドラマにはない圧倒的なダイナミズムがある。

これは想像でしかないが、渥美清も秋野太作と同様に、いや、それ以上に、第1作「男はつらいよ」の出来栄えに感動したのではないか。自分の頭の中だけにあった浅草のテキ屋たちの思い出、それが山田洋次監督のフィルターを通して車寅次郎に生まれ変わり、やがて、緻密に練り上げられた脚本・演出によって、テレビドラマ以上の熱気が溢れる映画作品として形になったのだから。

テレビドラマ版で車寅次郎を殺してしまった山田洋次も、寅次郎を見事スクリーンの中に生き返らせることができ、胸のつかえがようやく取れる思いだったのではないだろうか。

参考文献

ふくのじ

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