「でぶそば」はかつて松竹が大船撮影所を所有していたころ、渥美清をはじめ映画関係者が足繁く通っていたという中華料理屋である。
JR大船駅から徒歩5分ほど。人通りの少ない工場裏の道を歩いていくと、交差点の脇にポツンとその店は建っている。先代店主の丸々とした似顔絵と「でぶそば」と書かれた大きな看板が目印。
店に入るとまず目に入るのが寅さん映画のポスター2点。これは大船撮影所閉鎖の際、松竹関係者から譲り受けたものらしい。ポスターは全作品コンプリートされており、一定期間ごと、作品公開順に展示内容を入れ替えているとのこと。
その上の壁には、立派な額縁に収められた渥美清のサインがある。平仮名と漢字のサイン二種類で、どちらも「寅次郎」印が押されている。とても丁寧な筆跡で書かれたサインである。
私が注文したのは、かつて渥美清が好んだという半ラーメン・半チャーハン・半シューマイのセット、名づけて「寅さんセット」1,130円也。
ラーメンは昔ながらの中華そば風で、昨今の油脂たっぷりラーメンとは違いホッと安心できる味。店内の調度品もほどよく昭和を感じさせるものが多く、ゆったりした気分で昔ながらの中華料理を堪能できる。この昭和テイスト、好きな人にとってはたまらない至福の空間となるだろう。
入店がピーク過ぎの午後三時だったことも幸いして、寅さんファンだという私のために店主はわざわざお話につきあってくれた。ご主人は亡き父の跡を継いで現在二代目である。大船撮影所時代の貴重な想い出話をいくつかうかがった。
『男はつらいよ』の撮影は、全国津々浦々で行われるロケ撮影と、大船撮影所で行われるセット撮影の大きく二つにわかれている。大船撮影所では主にくるまや(とらや)シーンの撮影と、映像にあわせてセリフを録音するアフレコ作業が行われており、渥美清をはじめ『男はつらいよ』関係者が「でぶそば」に来店するのは、この大船撮影所での撮影の時だったという。以下、店主のお話。
「男はつらいよの大船での撮影やアフレコが始まると、渥美さんは作品ごとにだいたい三回くらいは当店に来てくださいました。」
「一回は撮影スタッフの方と、一回は蛾次郎さんやお付の方と、あと一回はマドンナの女優さんをお連れになることが多かったです。」
「マドンナの女優さんは映画で見るより小さな方が多かったですね。浅丘ルリ子さんなんて本当に細くて華奢な方でした。他にも後藤久美子さん、大原麗子さん、竹下景子さんなど、女優さんはたくさんお見えになりました。あ、ちょうど今お客様が座られている席に竹下景子さんが座られていましたよ。」
ご主人によると、でぶそばの立地は元々今の場所ではなく、戦後まもない頃、撮影所に近い場所で営業を開始したそうである。先代店主は撮影所内で行われていた野球大会を小津安二郎と並んで観戦したこともあるくらいで、当時から松竹関係者御用達の中華料理屋だった。
でぶそばに来店した映画スターは数知れずで、ご主人から伺っただけでも、佐田啓二、佐分利信、高峰三枝子、高峰秀子ら往年の松竹スターにはじまり、後年では渡辺謙とその子供たち(ってことは杏ちゃんも来てた?)、佐藤浩市、田中邦衛なども来店していたそうだ。
もちろん、男はつらいよシリーズ監督のあの人も、撮影中はもちろん、シリーズ終了から十数年を経た今でもよく来店するらしい。
「山田監督は、今でも年に数回はご来店いただいてます。松竹の映像編集所がこのあたりにあって、その用事のついでに当店へお見えになるようです。」
「男はつらいよ撮影当時は、山田監督は高羽カメラマンやスタッフの方と来ることが多かったですね。」
「山田監督の御一行がお召し上がりになっている時に、渥美さん御一行が来店されることもありましたが、特に言葉を交わすこともなく、お互いに別のテーブルでお食事をされていました。撮影中と休憩中ではきっちりと線を引かれていたようです。」
「渥美さんも最初の頃は、森川信さんやとらやキャストのみなさんと一緒にお見えになっていましたが、途中からはお付きの人や撮影スタッフの方と来ることがほとんどでした。やはり渥美さんも、息抜きの時間まで仕事の話はしたくなかったんでしょうね。」
なんと、でぶそばには初代おいちゃん・森川信も来店していたのだ。ここは、往年の名喜劇役者、森川信と渥美清がかつて食事を共にした空間でもあり、松竹史のみならず日本映画史の一端を担っている特別な空間と言ってもよいだろう。
「中華でぶそば」は渥美清をはじめ大船撮影所時代の松竹関係者にとって憩いの場だったが、中にはここで仕事仲間以上の関係を深めた来店客もあったようだ。以下、引き続きでぶそば二代目ご主人のお話。
「中村雅俊さんと五十嵐淳子さんがご結婚される前に、二人だけで来店されたこともありました。当時はそんな噂なんてありませんでしたから、普通に仕事合間の休憩だと思っていました。」
名前は伏せるが『男はつらいよ』がきっかけで後に結ばれたとされるカップルが、渥美清を含む三人だけで来店したこともあったという。やがてその二人は、後日あらためて二人きりでも来店し食事をしていったそうである。ご主人はその時も、仕事仲間以上の間柄を想像することはなかったそうだが、二人の間にはすでに密かな恋心が芽生えていたのかもしれない。
三人が食事をしたという店内奥の小上がりは、今はもう物置場になっており座敷の面影を見ることはできない。この小上がりで、映画談義から日常のよもやま話まで、たくさんの映画人たちが交流を深めてきたのだろう。
最後に、渥美清のほっこりするお話を一つ。
「私どもの先代は平成元年(1989年)に亡くなりました。渥美さんは先代をご贔屓にしてくれていたので、これからはもうお見えにならないかなあと思っていましたが、その後も変わらずご来店いただけましてね。」
「『よお、どう?』なんて、私に気軽に声をかけてくださいましたね。」
営業時間中にもかかわらず、ただのイチ寅さんファンである私に、ご主人は貴重な時間と想い出話をたくさんわけてくださった。ただただ感謝感激である。この場を借りて厚く御礼申し上げたい。
松竹映画の歴史と、映画人たちの想い出がたっぷりと染み込んだ中華料理「でぶそば」。ご主人には、活気ある当時を知る生き証人として、これからも元気にその暖簾を守り続けていただきたいと切に願う。昔ながらの懐かしい味と、たくさんの貴重お話、本当にごちそうさまでした。