黒柳徹子著『トットひとり』は、テレビ草創期から現在に至るまでを友人たちとの思い出話を中心に振り返る、黒柳徹子のメモワール(回想録)である。
森繁久彌、向田邦子、つかこうへい、井上ひさしら、昭和の一時代を築いた才人たちとの目眩がするようないい話が満載で、昭和の芸能好きにとってはかなり面白い本だろう。
渥美清との思い出は「私の母さん、私の兄ちゃん」という章で、NHKでの出会いから渥美の死を山田洋次からの電話で知る瞬間まで克明に綴られている。
二人は、お互いによく思っていなかった初対面から、共演を重ねるうちに「デキている」と周囲にウワサされるようになり、やがて正月に寅さん映画を一緒に見に行くまでの仲になったのだという。互いを「お嬢さん」「兄ちゃん」と呼び合う青春時代の眩しいエピソードが満載である。
渥美清の晩年(第47作『拝啓車寅次郎様』の頃)におけるエピソードの多くは、書籍『渥美清の伝言』内の徹子インタビューと重複しているが、中には初めて知るエピソードもありハッとさせられる。
たとえば、渥美清がガンをひた隠しにした理由についての、徹子の述懐。
自分の病気のことを、すべての人に隠したのには、いろいろの理由があったろうけど、私には、かつて、兄ちゃんが話してくれたことで、理解の出来ることがある。浅草時代、劇場をゆるがすぐらい、ドッと笑わせていた兄ちゃんなのに、ある日を境に、お客さんが全く笑わなくなった、という。
(同じことやってるのに、なぜ笑わないんだ?)兄ちゃんは、すごく、あせった。でも、いくらやっても、うけない。そしたら、ひどい結核になっている事がわかった。二十五歳の時だった。私に、兄ちゃんは、言った。
「同じ事をやってるようでも、健康じゃないと、お客さまは敏感にそれがわかって、笑わないんだ。これほど、悲惨なことはない、と思ったねえ」
『トットひとり』/黒柳徹子
渥美清のエピソード目当てで購入したものの、全編にわたって読み応えがあり、思わず一気読みしてしまった。帯にあるマツコ・デラックスの言葉「徹子さんの人生は小説よりも奇なり」の通り、徹子の人生は凡庸な小説よりよっぽど面白い。
もっとも印象に残ったのは、歳を取り、かつての仲間がどんどん亡くなっていくことについての、徹子の独白。
自分と同じ匂いを持ったひとたちが、知らず知らず、いなくなっていく。そんな寂寥感を味わうことが、歳をとる、ということかもしれない。子どもの頃、みんなと夢中になって遊んでいたのに、もっと遊んでいたいのに、気がつくと、ほのかに宵闇が近づいていて、広い公園の中にひとりぼっちで残されて、どうしたらいいんだろうと途方に暮れた、ああいう感じに似ている。穴が空いたのに、替りに埋めるものが何もない、といった寂しさ。
『トットひとり』/黒柳徹子
徹子の書く文章は、負の感情を想起させる要素がまるでなく、とても81歳のおばあちゃんが書いたとは思えない、澄み切った文章である。
文章には人柄が滲み出るとはよくいうが、徹子は本当に心の綺麗な人なのだろうと思う。