映画『男はつらいよ』さくら役でおなじみの倍賞千恵子が、兄・車寅次郎役を演じた渥美清との思い出について記した本。渥美清の逝去1年後に出版された。
二人の初共演は、倍賞の出演第2作目『水溜り』で1961年のこと。最後の共演作となった第48作『男はつらいよ寅次郎紅の花』が1995年の作品であるから、足掛け34年間、一緒に仕事をしてきた仲になる。
役の上だけではなく、私生活でも兄と妹のような関係だったという二人。本書でつづられる思い出のひとつひとつから、倍賞千恵子の渥美清に対する愛おしい気持ちがひしひしと伝わってくる。二人の交流を知れば、『男はつらいよ』劇中のシーンひとつひとつが、また違った形で見えてくることだろう。
男はつらいよファンにとっては是が非でも読みたい貴重なエピソードが満載の本書。本書ではたとえば、下記のようなエピソードがつづられている(ここでは掲載できないが、倍賞千恵子のコンサートに特別出演した渥美清の面白すぎる写真は必見)。
- 「渥美清さんとお別れする会」倍賞千恵子の弔辞全文
- 「思わずさわりたくなる石みたい」渥美清との初共演の思い出
- アドリブに笑いをこらえきれない「男はつらいよの撮影風景」
- 倍賞のコンサートに特別出演した「渥美清の貴重な写真」
- 渥美清と倍賞千恵子、「タヒチ旅行の特別な想い出」
- 倍賞千恵子の離婚と再婚、それを見守る渥美清
- 病魔を隠し続けていた渥美清のエピソード、そして渥美清との最後の晩餐
34年間共演者として、公私ともに深い付き合いをしていた倍賞千恵子だからこそ語ることができる、渥美清の素顔がここに書かれている。書評としては反則に近いが、私が一番好きなくだりを以下長々と引用させていただく。嗚呼、読み返しているとまた涙が出てきてしまう……。
『私の穴ボコを埋めてくれた渥美さん』
待ち時間に、
「幸せかい」
「幸せよ、とっても」
「へーえ、男ができたのか」
「いないよ」
「嘘つけ、このヤロウ」渥美さんはいきなり私の頭を抱え、拳骨でぐりぐりかきまぜます。もうすぐ本番だというのに、髪の毛がくしゃくしゃ。でも、じゃれあっているのがうれしくて、懐かしいのです。
「幸せかい」
「わかんない」
「だまされるんじゃないぞ、男に」
「ねえ、こういう経験したんだけど」
「何だ?話してみろ」(中略)
「そのあと、どうなった?」
「それきりよ」
「お前はね、それは利用されてるんだ。詐欺だよ」
「本当に?」
「全く、バカやってんじゃないよ」その時も思いきり首をしめられました。痛くて悲鳴を上げたのですが、でも、あたたかなものが私の胸に伝わってくるのを感じました。渥美さんは、私があけた穴ボコを足で踏んづけて埋めようとしてくれたのかもしれません。
留守電に、「幸せかい」と、一言だけ入っていることもありました。
苦しんでいるときに、ご飯に誘ってくれて、何も聞かないで「ほら、食った方がいいよ」と、料理の皿を差し出してくれるだけのこともありました。 そんなとき、ふっと心がほどけるのを感じたものです。
相談にのってほしいと頼むとジイッと話を聞いて、その時は返事せずに、何日かたってから、「あれはな、こうだよ」
時間をかけて考えてくれたんだなあと胸が熱くなりました。
「お兄ちゃん」/倍賞千恵子
決して洗練された文章ではないのだが、そこが逆に本書がゴーストライターではなく、倍賞千恵子自身の執筆であることを感じさせる。
独特の表現と語りかけるような文章は、倍賞千恵子の優しい人柄を伝えており、読後は誰もがあたたかい気持ちになれる一冊だ。