本作は、車寅次郎を演じた俳優・渥美清が生前残していた「俳句」を手がかりに、素顔の渥美清を探っていくルポルタージュ。
渥美清が俳句を始めたのは1973年(第11作『寅次郎忘れな草』の公開年)、永六輔の誘いではじめて句会に参加したという。初期の俳句からすでに独特のユーモアと、五・七・五のルールにとらわれない自由な句を残していた。
俳号は、言わずと知れた「風天(フーテン)」である。
うつり香のひみつ知ってる春の闇
さくら幸せにナッテオクレヨ寅次郎
山吹キイロひまわりキイロたくわんキイロで生きるたのしさ
むきあって同じお茶すするポリと不良
冬めいてションベンの湯気ほっかりと
最初はあまり気乗りがしなかった句会もその後は熱心に参加し、「時々、あきれるくらいの駄句もあったけれど上達著しく総合点で何回も優勝して」いたそうである。その後、参加する句会は変われど俳句の趣味自体は続き、撮影で忙しいときには大船撮影所からタクシーを飛ばして句会に参加、終わるとまたタクシーで撮影所に戻ることもあったという。
取材開始当初は45の俳句だけが判明していたが、取材を続けるうちに「こもろ寅さん会館」で新たに48句、母校である小学校に42句、友人であるイラストレーター和田誠所有の29句、さらに別の句会でも大量の句が見つかった(中には死の半年前に詠んでいた句もある)。渥美清がひた隠しにしていた「俳人」としての側面が、少しづつ明らかになっていくプロセスはまるでミステリー小説のようでもある。
そして最終的に集まった風天俳句は全221句。この句をたずさえ、渥美清の俳句仲間に彼の思い出を尋ねてゆく。渥美清、というより本名・田所康雄の秘密のベールを一枚づつはがしていくこの感じがなんとも刺激的だ。
「渥美さんはウチの句会では俳句が終わったあと仲間と一緒にビールを飲んで楽しそうでした。(中略)映画の話は一切しなかったと思います。どこを歩いても注目され、サイン攻めに遭う普段の生活にはよほど窮屈な思いをしていたんでしょうね。私は芸能界とは無縁だし、上下関係も何もない気楽な身分でした。そんな空気の中で、みんなからただの友人として扱われる渥美さんは居心地がよかったのでしょうか?そのあと渥美さんは一切お酒を飲まないと聞きましたがどうしても信じられませんでした」
(灘本唯人 イラストレーター)
「渥美さんの句はぽっかりして大きい句、その空間や景色が目に浮かぶような句が多い。難しい言葉がなく、妙にひねくりまわしていないのがいいですね。諸行無常を感じさせる句もある。でも、寂しいけれどさわやかな風が吹いています。(中略)孤独とは一人の王国、孤独と引き換えに自由がある。渥美さんの句には寂しさ、哀しさの持つ一人のステキさを感じます」
(白石冬美 声優)
「風天句によく出てくるフレーズを拾ってみると、いつだって/誰もいない/どこへゆく/しかたない/これからどうする/あっけなく/ぽつんと…。(中略)スターという立場、もろもろの縛りから解き放たれてふっと出た呟きの言葉です。虚の渥美清が演じる虚の『寅さん』になった撮影現場から離れて、また一人の虚、俳号の風天になり俳句を作った。ただ俳句には、どこか虚を取り去り、渥美清の素の部分の『呟き』を垣間見ることができます。本名田所康雄に戻ることがあったかどうか…」
(麻里伊 俳人)
その他にも、山田洋次、小沢昭一、和田誠、浅井慎平ら、名だたる関係者のインタビューが採録されている。その証言から浮かび上がる渥美清の素顔は、「寅さん」のキャラクターからはまったく想像ができない、複雑でミステリアスなもの。
いうなれば、渥美清は稀代の喜劇役者であると同時に、隠者であり、哲学者であり、詩人。国民的スターとしての務めをまっとうする一方で、孤独を好み、漂泊の旅に憧れ、誰にも知られることなくそっとこの世から消えてなくなることを望んだ人物だったのかもしれない。
渥美清がひた隠しにしていた「俳句」という趣味は、彼のそんな矛盾を解放してくれる唯一の楽しみだったのかもしれない。
本書は、元新聞記者・森英介による良質ルポルタージュ。俳人・石寒太による風天俳句全221句の解説も収録されている。渥美清の人となりを深く知りたい方におすすめだ。