一橋大学大学院の教授であり、ベストセラー『ストーリーとしての競争戦略』の著者でもある、楠木建氏による著作。書評の形式をとりながら、戦略と経営の本質について主張を展開していく一冊。
なぜ、この経営書を本サイトで取り上げるかというと、楠木氏は渥美清の大ファンであり、本書内でもたびたび『男はつらいよ』や渥美清について言及されるからである。以下引用。
一連の「寅さん映画」がスキかと言われればそうでもないのだが(渥美清主演の映画では、野村芳太郎監督の軍隊喜劇『拝啓天皇陛下様』がベストだというのが私見。この映画には贅沢なことに藤山寛美が助演で出ていて、渥美とのやりとりがもう最高。とはいっても寅さんシリーズの初期の数本はさすがにシビれる。とくにミヤコ蝶々の怪演と渥美清の持ちネタ全開の演技が火花を散らす『続・男はつらいよ』は傑作)、僕は渥美清という俳優を人間として大いに尊敬している。人生の師の一人といってもよい。
『戦略読書日記』/楠木建 (119p)
楠木氏は経営における競争戦略の研究をしているが、自分では一切経営をしたことがなく、また、今後も経営をする気はないと公言している。
経営の未経験者が競争戦略を語ることに若干の訝しさを覚えるが、”経営はセンスである”という独自の持論が、リズム感よく練られた文章で展開されるため、思わず惹きこまれてしまう。
映画評論家や音楽評論家はプレイヤーとしての経験がなくても、作品を的確に批評し、読み物としてエンターテイメントたりうる評論が書ければ十分であり、読者もそれ以上のことをのぞんではいない。楠木氏には前述の通り経営経験はないが、その文章は評論として非常に面白く、他の芸能ジャンルの評論と同様、”経営評論”というジャンルがあってもいいのではないかと思えてくる。
書評の対象となる本には、ユニクロ柳井社長『一勝九敗』など定番ビジネス書から、『元祖テレビ屋大奮戦!』『映画はやくざなり』など芸能に関するタイトルも並んでおり、一風変わったセレクトである。
昭和の喜劇人評伝である小林信彦の著作『日本の喜劇人』も取り上げられており、その書評では、森繁久彌、渥美清、由利徹らを引き合いにしながら下記主張を展開している。
──経営にはセンスが必要だが、センスは形をともなわず目には見えない。だから、優れたセンスをわが物にしたければ、「その人に固有のセンスが観察可能な行動や振る舞いとして表出されたもの」である”スタイル”を学ぶ必要がある。
芸人の”芸風”と呼ばれるものは、まさにその人固有のセンスが”スタイル”として表出されたものであり、一流の芸論を読むことは、経営のセンスを考えるうえで重要な示唆を与えてくれる。──
筆者自らまえがきにおいて宣言をしているが、本書を読んでもなにかしらのビジネス・スキルが身につくとは到底思えない。むしろ、経営に関するエンターテイメント本として割り切って楽しむのがよいと思う。
本書のまえがきは、Amazonの「なか見!検索」で全文読むことができる。この文章を読んでピンと来たビジネスパーソン諸賢には自信を持ってお薦めできる一冊。非常に読み応えのある作品だった。