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『寅さんは生きている』/日刊スポーツ新聞社文化部

日刊スポーツ新聞社文化部
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渥美清の死後、日刊スポーツに1996年10月1日から同年10月31日まで連載された「寅さんは生きている」に大幅加筆したものが本書。渥美清に関するエピソードをつづるエッセイ27本に加え、渥美清のお別れ会での8人による弔辞の全文書き起こしが収録されている。

日刊スポーツ本誌での連載中には、渥美の小学生時代の同級生から情報提供もあったそうで、渥美清の知られざる幼年時代のエピソードまで収録されてる。私はそれなりに渥美清関連本を読んできたが、本書ではじめて知るエピソードも多数収録されていた。

中でも、渥美清がセルフプロデュースにかなり意識的だったことを物語るエピソードは、非常に興味深いものだった。

劇場での仕事から、テレビの仕事に軸足を移し始めていた1960年。渥美が住む4畳半アパートの壁には、365日に区切った年間スケジュール表が、部屋をぐるりと囲むように貼ってあったという。渥美は当時のマネージャーにこう言った。

「いやねえ、浅草を離れるころからこの紙に白い部分をなくすのが目標だったんだよ」

『寅さんは生きている』/日刊スポーツ新聞社文化部

やがて順調に人気を獲得し、仕事量はピークに達する。余白がほとんどないスケジュール表を見ながら、渥美はマネージャーにこう言ったという。

「これからどうすればいいと思う?」

『寅さんは生きている』/日刊スポーツ新聞社文化部

マネージャーは、渥美のアクの強さを指摘し、飽きられないためにも今後はテレビに出過ぎない方がいいのでは、と答えた。すると渥美は腕組みをして、深く頷く。

「実はオレも同じことを考えていたんだよ。表を真っ黒にすることが目標だったけど、これからは少し白い部分をつくる努力も必要だと思うんだ」

『寅さんは生きている』/日刊スポーツ新聞社文化部

渥美清はこれ以降、受ける仕事を慎重に選別することになる。役者として自分が持つ武器と弱点を冷静に分析していた渥美清らしいエピソードである。

やがて渥美清は寅さんとしてブレイクを迎えるが、ブレイク後のエピソードにも、セルフプロデュースの徹底ぶりが窺える。

渥美清は野球が好きでナイターをよく見ていたが、好きなチームは絶対に答えなかったという。「寅さんが、どこかのチームに肩入れしたらおかしい」からだ。

当時『男はつらいよ』とのタイアップ広告のオファーも多かったが、渥美清の希望でそれは郵便局や地下鉄の公共機関に限られた。「寅さんに”色”がついたら、おかしい」からだ。

撮影スタッフに会えば必ず「なにか、面白い話、ない?」と聞いたという。芸の引き出しを増やすためであり、そのプレッシャーに耐え切れず、渥美の前に出るのが怖かった撮影スタッフもいたという。

体調管理も徹底しており、60歳を超えた初老の男が、ふた回りも年が離れたマドンナに恋をするという映画が、おぞましいものではなく喜劇として成立しうるのは、ひとえに渥美清の徹底した体調管理の賜物だろう。

そんな”セルフプロデュースの鬼”ともいえる渥美清だったが、ごくまれに自己管理が追いつかないこともあったようだ。男はつらいよシリーズが30作を超えた頃、友人である脚本家・早坂暁にこう漏らしたという。

「オレ、もう寅に飽きてしまったよ」

『寅さんは生きている』/日刊スポーツ新聞社文化部

私はこれまで寅さん関連の著作をたくさん読んできたが、「渥美清は寅さんに飽きていた」という記述やエピソードを発見したのは本書だけである。あれだけの人気長寿映画シリーズであれば、「飽きた」ことをうかがわせる発言やエピソードがもっと漏れ出てしかるべきである。それらがほとんど表に出てこないというのは、やはり渥美清の超人的な意志の強さによるものだろう。

「渥美清さんとお別れする会」における弔辞の全文収録にも注目だ。倍賞千恵子、浅丘ルリ子、関敬六、早坂暁、森繁久弥、三国連太郎、山田洋次、長男の田所健太郎氏、以上8名の弔辞が収録されている。弔辞全文はWeb上ではほとんど見つけられないもので、貴重である。

日刊スポーツ新聞社文化部
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