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『渥美清 浅草・話芸・寅さん』/堀切直人

堀切直人
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渥美清の一生を追いかける伝記的評伝。少年期から、ストリップ劇場である浅草フランス座時代の活躍、その後の車寅次郎としての活躍まで記されている。

本書は、全体の約8割がさまざまな書籍からの引用で成り立っているのが特徴。著者自ら「引用のモザイク」と称するほどである。

1ページ中にカギカッコ付きにくくられた大量の引用文が登場するため、変わった文章スタイルに最初は少し戸惑いを覚えるが、その分おいしいエピソードがてんこ盛りだとも言える(その分、著者自身のオリジナルな体験や考察はあまりない)。大量のエピソードをつなぎあわせて一つの本として成立させるのは、なかなか大変な作業だったのではなかろうか。

渥美清の幼少期

「小さいころは、物の考え方が人とちがうといわれたことはある。しいていえば、体が弱くて、寝てたり、ゴロゴロしてた。だから、鉄ビンのシンシンという音だとか、物売りの声だとか、障子にかげる鳥の影だとかにひかれたね」

「関節炎の痛みに耐えながら家で寝ていると、家の外でカラスがぱっと飛び立つ影が障子にサアーッと映ったりする。するとラジオのスイッチを入れたくなる。こんな気持は健康な人たちは分かって貰えないでしょうねえ」

幼少期の渥美清はとても体が弱く、いつも床に伏せながらひたすらラジオを聞いていたという。この時期に、浪曲、講談、落語、ラジオドラマなど、さまざまな番組を聞き込むことによって、渥美清の「見えない情景を話術で目に見えるように想像させる芸」の下地が作られたのだと著者は指摘している。

渥美清の青年時代

小学校を卒業した渥美清は工場で働きはじめるが、その後は職を転々とする。グレはじめてからは家にほとんど帰らず、上野あたりで悪い遊びに手を染めていたそうである。

そしてこのころ、車寅次郎のモデルとなるテキ屋のお兄さんたちに出会い、啖呵売の熱心な観客として魅了されるのである。

「御徒町の角の、ガァーッと車が通って、人がワイワイ言ってて、ガァーン、ガタン、ガタン、ガタンガタン、なんとなくわいわいガヤガヤしてるところで、入れ墨をしたまっ白なからだで、パッとあめ玉を出してね。『四谷、赤坂…』くらいになってくると、客が静かになってくる。ガァーッという高架線の上を行く省線の音も聞こえなくなってくる。そういう精神作用がおもしろいのね」

「きょう、あしたと毎回見に行くと、そこに、フッと変わった言葉がまた出てね。要するに、新狂言ね、『この人、どこまで、こんなにいろんなとめどもつきぬものがあるんだろう』と思ってね。向こうも、ぼくが好きで来てるってことがわかるから、なんとなく意識して、パッと決ったときなんか、ぼくのほうを見てくれる。こっちも、ハッと打たれて、急いで大学ノートに書いてね。やっぱり、演者は客を知るですよ」

渥美清のフランス座時代

そして渥美清は昭和28年(1953年)、当時隆盛を誇った浅草フランス座に入座。最初は端役を与えられていたが、メキメキと頭角をあらわし、あっという間に二代目の座長格へと登りつめる。

当時の渥美清を知る人たちの述懐を聞けば聞くほど、このころの渥美清を実際に見てみたいという気持ちにかられる。まさに「千両役者」という言葉がぴったりだったようである。

渥美は機関銃のように猛烈なスピードでギャグを連発する。アドリブはみごとで、その間がいい。一人しゃべりもうまい。上野で習い覚えたテキ屋の啖呵売の口調が生かされて、伝法な口上をやらせたら彼の右に出る者はいない。声帯模写や形態模写の芸も天下一品である。

帽子をかぶり、サングラスをかけ、コーンパイプをくわえ、マッカーサーに扮して舞台に現われ、でっちあげの英語を勝手にまくしたてる。ついで、台湾総統の蒋介石に化けて、でたらめの中国語をしゃべり、時折、それにチャーシューメンといった言葉を交えた。さらに、ソ連の書記長スターリンになってロシア語らしきものを、フランスの軍人ドゴールになってフランス語らしきものをしゃべる。そうかと思うと、突然、ターザンに変身して、アーアァアァアァと叫び、チンパンジーのチータと化し、ウォホッウォホッと舞台を駆け回る。物真似が達者で、インチキ外国語が楽しく、次に何が出てくるのか予想できない面白さに満ちていた。

渥美清は客を笑わせるだけでなく、客に涙を流させもした。(略)「床屋のバカ伜が、弟の恋人に恋してしまい、なかなか告白できずにいる役をやった時などは、踊り子さんたちが舞台の袖に集まって、渥美やんの一挙手一投足を見つめていた。目を真っ赤になきはらしていた。/劇場の中でも渥美やんの芝居は評判になっていて、それを見るために踊り子たちもわざわざ三階から降りてきて、舞台の袖にしがみついていたものだった」(『さらば友よ』)。

渥美清は昭和が生んだ「稀代のスター」

幼少時代、青年時代、フランス座時代、病床時代、テレビ時代を経て、いよいよ最後に車寅次郎としての男はつらいよ時代がはじまる。

本書では『男はつらいよ』シリーズが国民的な映画に至るまでの裏話が、豊富なエピソードを中心に語られる。本書の大部分を占めている男はつらいよ時代にも、やはり興味深いエピソードが満載。ここから先はぜひ本書をご覧いただきたい。

最後に、井上ひさし、山田洋次の両人が渥美清を評した言葉を引用しよう。

井上ひさし-「一人前の喜劇役者になるには、生の舞台で、それも厳しい観客の前で、長い間修行しなければならなかった。また、そうやって育っただけに俳優としても長持ちするわけで、渥美さんはこの社会システムが生んだ最後の、そして最大の俳優だった」

山田洋次-「昭和初期に生まれ、思春期に敗戦を迎え、身体も弱く、学歴もなく、貧しい暮らしを体験しながら戦後の時代を生きてきたからこそ、稀代のコメディアン渥美清は誕生した。生きることの辛さや哀しみをいっぱい知っている渥美さんが演じたから、寅さんは人々の心を掴んで放さなかったのです」

『男はつらいよ』シリーズ、寅さんをきっかけに、渥美清という人物に少しでも興味を惹かれた方ならば本書を楽しめるだろう。渥美清を知るための入門書としては悪くない一冊といえる。

堀切直人
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