『愛と人生』/滝口悠生


帯にある「独創的な寅さん小説」というコピーの通り、本作は寅さんを題材にした文学作品である。寅さんファンならば下記の魅力的なあらすじだけでも即買してしまうのではないか。

「男はつらいよ」シリーズの子役、秀吉だった「私」は寅次郎と一緒に行方不明になった母を探す旅に出た……27年の歳月を経て、そんな昔話を伊豆の温泉宿で「美保純」とともに懐かしむ「私」。「男はつらいよ」の世界に迷い込める、味わいたっぷりな”寅さん小説”(「BOOK」データベースより)

シリーズの中でもちょっぴり地味な作品として記憶される第39作『寅次郎物語』の秀吉少年を主人公に据えるあたり、寅ファン的にはニヤリとさせられるが、作品の随所に顔を出す作者独自の寅さん論にも唸らされるものが多い。

たとえば、熱狂的な寅さんファンなら一度は疑問に思う「江戸川の土手を歩く寅さんは、いったいどの駅から帰ってきたのか?」問題。この問いへの冷静な推論の展開はいかにもマニアであるし、「成長とともに異物感を増してきた初代満男・中村はやとから吉岡秀隆への交代により、作品世界の安定がより強化された」という作品論には、思わず膝を打つ。

物語は『寅次郎物語』各シーンにおける登場人物の心情描写を中心に進行していく。映画で一度見たはずの物語を、秀吉少年、さくら、満男、そして一人だけなぜか芸名で登場する「美保純」たちの主観でリプレイすることで、お伽話然とした「男はつらいよ」の世界に、我が身につまされるリアルな心の動きが付与されていくのは実に面白い感覚だった。

映像という客体表現から、小説という主体表現への転換によって、満男の進学問題に悩むさくらの苦悩が、こんなにも哀愁に満ち、胸に迫るものになるとは!本作は単なる「映画作品のノベライズ」という枠を超えた、文学作品以外のなにものでもない。

本作ではメタ的手法も巧みに駆使されており、次々と切り替わる視座は登場人物を演じる俳優にまで及ぶ。とりわけ、車寅次郎に飲み込まれそうになる渥美清の葛藤をリアルに描いた作品冒頭は実に素晴らしい。

四半世紀にわたり、ほぼ寅さんだけを演じ続けた俳優・渥美清は、一体何を考えていたのか。ほとんどインタビューに応じなかった彼の心中を察するのは妄想に近いが、作者の確かな筆力と洞察力によって、渥美清は確かにこう考えていたのだろうと妙に納得させられる。

もはや日本国民のものとなった寅次郎を維持するための集中力、「その糸が常にちゃんと、ぴんと張っているかどうか」だけに専心する渥美清の境地を、ここまでリアルに描く表現力は大したものだ。

本作がただの「寅さん同人小説」ではなく、文学として成立しうるのは、作者の確かな力量によるもの。力みのない流麗な文体は、寅さんを知らない人でも十分楽しめるし、寅さんをよく知る人ならばなおのこと興味深い作品だと思う。

      2016/06/13

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