『おかしな男 渥美清』/小林信彦

『おかしな男 渥美清』は、寅さんシリーズを熱心に見ているファンの方にはどうしてもおすすめしたい一冊だ。私は、寅さん関連書籍をかなりの数読んでいるが、その中でもベストの面白さではないかと思っている。

本書は、評論家・小林信彦が、渥美清がまだ駆け出しの頃から始まった交遊のほぼすべてを、私小説風につづるポルトレエ(肖像、風貌描写、性格描写)である。

「自分が実際に見聞きしたことだけ」を書くというポリシーの通り、渥美清に関する興味深いエピソードが満載である。しかもそれらが、当代随一の鋭い芸論・評論で知られる小林によって書かれるわけだから、渥美清の内面にかなり突っ込んだ人物評伝となっている。

本書のエピソードから想起される、渥美清の人物像をひとことで言ってしまえば、「神経質」「人嫌い」「リアリスト」ということになる。人情味あふれる「寅さん」の印象とは真逆のもので、素顔の渥美清に軽いショックを受ける方も多いことだろう(私自身がそうだった)。

渥美清には当時から他人を寄せつけない雰囲気があった。言いかえれば、<近寄りがたい男>である。渥美清のまわりには透明な膜があるようで、親しくなるにつれ、そのことを痛感するようになる。(18P)

渥美清は自分の仕事、とくに現在進行形のものについては口が堅かった。他人を信じていなかったからである。
多くの同業者が渥美清に警戒の目を向けていた。彼はまだストリップ劇場出身のコメディアン特有の下品さを引きずってはいたが、そのくさみを消そうとしていた。そして、そうした努力に同業者は敏感だから、<要注意人物>と目される。(34P)

「ねたみが憎しみに変わってるね。このあたりに……」と彼は首筋を軽く叩いて、「そういう視線を感じてますよ。灼きつくようなやつをね。おれが普通の人間じゃないことを知らないんだ」
「普通じゃない?……」
「キチガイだからね、おれは」
ぼくは不安になる。渥美清は細い目でぼくを見つめた。
<キチガイ>というのは彼独特の表現であり、業が深いということである。いつか<狂気>と言ったのと同じで、演技のためには処世や私生活を犠牲にしても平気だと開き直っているのだ。(76P)

本書は、原稿用紙600枚を超える長編作品で、渥美清がやっと「寅さん」にたどりつくのは作品の折り返し部分。ブレイク以前の渥美清に多くのページが割かれており、この時期の渥美清をここまで丹念に記した本は他にないと思う。

その前半パートには、植木等、フランキー堺、萩本欽一、藤山寛美ら同時代の喜劇人が多数登場し、渥美清が彼らをどう評価していたかも知ることができる(特に、渥美と伴淳三郎との確執は驚き)。本書は、昭和喜劇人たちの芸論としてもめっぽう面白いのだ。

当然、渥美清の芸についても論が展開されており、彼の天才的な話術の面白さの秘訣はどこにあったのか?寅さん以前の主演作品ではなぜブレイクできなかったのか?など、鋭い指摘に唸らされる。「男はつらいよ」についても初期作品を中心に論じられており、見巧者ならではの指摘は寅さんシリーズに新しい視点をもたらしてくれることだろう。

本書は、渥美清の死後に起きた「寅さん礼賛騒動」を冷徹に振り返りながら幕を閉じる。小林氏が最後に見た渥美清の姿は、まるで映画のラストシーンのように印象的で、なんとも言えない寂しい読後感をもたらす。

彼はうつむきがちに言う。
「朝、起きる前から身体が痛いんだよな、節々が。そンでもって、外を歩ってて、子供がちょろちょろしてるのを見ると、妙に腹が立つの。──で、ふっと考えるとさ。こっちが餓鬼のころ、町内に、なんだか知らねえけど、気むずかしくて、おれたちを怒鳴りつける爺さんがいたよ。ああ、あの爺さんが今のおれなんだって気づいた時には、なんか寂しいものがあったね」
ぼくは笑った。そうするしかなかったのだ。あいかわらず、絶妙の語り口ではあったが、声に力がなかった。
「こんな会話、あなたと交わすなんて、思ってもみなかった」
「昔は、二人とも気鋭だったのにねえ」
彼の言葉はぐさりときた。(457P)

寅さんファンであれば、誰もが一度は「渥美清って、寅さん以前に何してたの?」「寅さんだけを演じる役者人生で本当によかったの?」と疑問に思ったことがあるだろう。

本書は、そんな疑問に完璧に答えてくれる一冊である。この本を読めば、スクリーンに映る寅さんの姿に、「渥美清の生き様」というレイヤーが重なり、「男はつらいよ」がより味わい深く見えてくることだろう。

      2016/05/31

 - 男はつらいよ書籍紹介